ピアニスト/作曲家 ハクエイ・キムさん 「僕はジャズに救われた」≪インタビュー≫


サン・セバスティアン国際ジャズフェスティバル(Jazzaldia)の運営母体からハクエイ・キムさんと壷坂健登さんの通訳を依頼されたとき、お二人が若手のジャズピアニストと聞いて、エキセントリックで少し近寄りがたいアーティスト像を勝手にイメージしていました。

通訳初日、ジャズピアニストの大御所である山下洋輔さんの記者会見の場に壷坂さんとともにラフな格好で現れたハクエイさんが、私に向かってさっと右手を差し出し自己紹介をされたとき、そのあまりにストレートで自然な物腰にびっくりしたのを覚えています。

3日間にわたり、今を時めく才能豊かなジャズピアニストのお二人に通訳として同行させていただいたのですが、壷坂さんもハクエイさんも終始、謙虚で礼儀正しいジェントルメンでありました。

古い修道院に設置された博物館の回廊部分で催され、国境を越え言葉の壁を超えて聴衆を沸かせたそれぞれのソロコンサートは、お二人が通訳の介在なしに、音楽を通じて地元の人々と最も親密につながったひと時であったといえます。

優雅でありながら非常に気さくなハクエイさんから受けた印象は、客観的視点で物事を見てしなやかに思考し、そしてそれを率直に表現する才力に長けた方であるということ。

この記事は、通訳として同行させていただいた3日間に伺ったハクエイ・キムさんのお話を、記憶を頼りにインタビュー形式に編集したものです。

ー 初対面で山下洋輔さんの記者会見の写真撮影をお願いしてしまってすみませでした。「あなた、こんな偉いピアニストにそんなこと頼むなんて失礼ですよ」って叱られていましたよね?私。

ハクエイ・キムさん(以下、H.K.) ああ、山下さんのマネージャーの村松さんに。

ー 山下さんご本人にお会いできて、感激のあまりすっかり回りが見えなくなっていました。お恥ずかしい。

H.K. いやいや、全然かまいませんよ(笑)。

ー ところで、ハクエイさんはクオーターでいらっしゃる。

H.K. ええ、おばあちゃん(母方)が日本人だったので。

ー プロフィールに「クオーター」とあったから、最初はてっきり韓国人の血が4分の1で日本人の血が4分の3だと思っていました。

H.K. 母は韓日ハーフで、父は日本生まれの韓国人です。

ー 韓国へはよく行かれるんですか?

H.K. それほど頻繁には…韓国語はほんの挨拶程度しか話せないし、韓国に行ったのは35歳の時が初めてだったぐらいだし。でも、行ってみたら日本と似ているようで全然違うところも多いことが分かったり、すごく好きなだなあと思えるところもあったり、色々な発見があった。自分のルーツを知れたという意味で、行って本当に良かったと思いました。だからこれからも、折に触れて訪れたいです。

ー そういえば立ち振る舞いにしても、こうやってお話ししていても、ハクエイさんはやっぱりどこか日本人離れしたところがあるように感じます。

H.K. オーストラリアに12年間いたから、そのせいもあるんじゃないかな。

ー そうでした、音楽留学されてたんですよね?

H.K. ええ、本当はイギリスに留学したかったんですけれど。昔はロックバンドやってて、当時のイギリスのロックミュージックが大好きだったから。でも、色々と事情があってオーストラリアになってしまいました。

ー なんでまた、オーストラリアに?

H.K. いや、当時母の知り合いのオーストラリア人の女性が日本に住んでいて、よく家に来ていたんですけど、彼女からオーストラリアを推薦されたんです。で、お国事情も教えてもらえたし、いざという時も安心だっていうんで決めちゃいました。そうでなければどこであろうと、海外留学なんて母が許してくれなかったですよ。「音楽で食べていきたい」なんて言ってもまじめに取り合ってくれなかっただろうしね。本当は父と同じ道を歩んで医者になってほしかったんじゃないかと思います。でも僕が本気だってわかって、結局は折れて留学を許してくれました。

ー 留学したての頃とか、いろいろと苦労されたのでは?

H.K. 語学で苦労したって感覚は無かったかな。とにかく独りになれたってのが何よりも嬉しかったです。うちは兄弟4人でいつも家の中が賑やかで…というか、賑やかすぎて、どこか静かな環境に身を置きたいってずっと思ってたから。

ー ハクエイさん、もしかして長男ですか?

H.K. そう、長男です。

ー やっぱり。長男て独りになりたがる傾向があるってどこかで読みました。だから時々ふっと、遠いところに姿を隠してしまったりするらしいですよ。

H.K. 実家に住んでいた時は本当にすさまじかったです。末っ子の妹を除いて、上3人男兄弟で毎日取っ組み合いのけんかばかりでした。子供達だけで留守番なんかした日には、親が帰宅する頃には窓ガラスが割れてるなんてことがざらだったし。

ー それは確かにすごいですね、独りになりたくなる気持ちもわかります(笑)

H.K. オーストラリアってね、とにかくどこもかしこも広々とているんです。僕は生まれは京都だけれど、父の仕事の関係で北海道に移ってそこで結構長いこと暮らしていたので、その頃を思い出すというか、なんとなく似ているなあと、すごく開放感を味わいました。

ー スペインは今回が初めてとおっしゃっていましたが、サン・セバスティアンの街はどう思われました?

H.K. 思っていたよりずっと治安が良くて、道を歩いてて警戒しなければならないような雰囲気が何もないのに驚きました。こちらに来る前に色々な人から「気を付けろ」とさんざん脅されたので、拍子抜けというか(笑)この後、数日ほどバルセロナで過ごす予定なんですけど、あちらはどうなのかな?

ー エリアによっては少し危険な場所があるかもしれませんね。サン・セバスティアンは本当に平和です。日本と同じような感覚で出歩けますし、旅行者から怖い目に合ったとか盗難にあったとかいう話も、あまり聞いたことがありませんし。

H.K. あと、歩きスマホしてる人が少ないですよね。ほとんど見ない。

ー そういう点で、まだまだここは長閑(のどか)だから(笑)

 話は変わって、サン・テルモ博物館の回廊でのコンサートを聴かせていただきました。開演前にアシスタントの秀子さんから「ハクエイさんのピアノ、本当にイイですよ」と耳打ちされて期待していたんですけれど、その期待を裏切らない素晴らしいパフォーマンスでした。

キム ありがとうございます。あのような場所で弾くことはめったにないので、貴重な経験になりました。聴衆のレベルもすごく高いと感じたし。ジャズ音楽を聴く準備がきちんとできてるのが伝わってきました。はるか昔からずっと西洋音楽を育んできた歴史の重みというか、さすがだなあと思いましたね。

ー 聴きに来ていたお客さんたち、大喜びしていましたね。コンサート後には、CDがあっという間に売り切れてしまって。

H.K. 現金の持ち合わせがなくて購入をあきらめた人もいたから、次回はカード決済ができる準備をしておかないと(笑)。


ー 私はただただ圧倒されました。以前クラシック音楽に携わっていたことがありますが、楽譜にかかれていない音楽は弾けないタイプなので、即興で演奏できる方たちは本当に凄いなあと思います。

H.K. 僕はその逆で、楽譜があったら弾けません(笑)。国際コンクールとかに参加しているピアニストの方々を見てると、あんな長い曲を楽譜通りにいくつも弾けて信じられないと思っちゃう。

ー 今回、録画を担当していた関係で最前列の鍵盤が良く見える位置にいたんですが、演奏中2~3箇所、ハクエイさんの手が鍵盤に触れる前に右に行こうか左に行こうか一瞬迷うようような動きをする場面を目にしました。いつも譜面通りの演奏をしている私のような人間はすぐ「あ、次のパッセージを忘れた!」と思ってヒヤッとしまうのですが、そうではないんですよね?よくあるんですか?ああいうことは。

H.K. あははは、確かにその時々で瞬時に判断して演奏を進めることはありますね。「直前に低音が溜まっちゃったなあ、じゃ逆に行ってみるか」とか。弾きたかった和音と違う鍵盤に指が落ちてしまった時には「なら、次はこう展開させちゃおう」って変えてちゃうし。ソロ演奏だからこそできる芸当なんだけれども。

ー 作曲もされていますが、楽譜に書いていらっしゃるんですか?クラシック畑の人間の悪い癖で、譜面を想像しながら音楽を聴くところがあるんですけれど、すごく複雑なリズムで目まぐるしくビートが変わるような曲だと、もうわけがわからなくて…。

H.K. 自作の曲は、もちろんスケッチのような形で書き留めてあります。でも、クラシック音楽の楽譜とは全然違って自由度が非常に高いんです。だから自分で弾いていても、それを全部音符で表したらどんな風になるのかなんて見当もつかないし、絶対にできません。でも、そういうことをしなくていいから複雑なリズムとかビートの曲でも平気で弾けるし作れちゃう。僕ね、本当にジャズに救われたって思っています。

ー 今回聴かせていただいて、頭の中に色彩や風景が浮かんでくる旋律が印象に残りました。映画音楽をおやりになったらいいんじゃないかしら。

H.K. そう言っていただけて嬉しいです。映画音楽は、ものすごくやってみたくて。そういうチャンスに恵まれたらいいなあと思っています。

ー 話を少し戻しますが、韓国にルーツがあるがゆえに日本でなにか不便を感じることはありますか?

H.K. う~ん、そうだね…名前や苗字に関しては、この世界(アートの世界)って目立ったもん勝ちというところがあるでしょう?だから逆に良かったと思っています。あと、オーストラリアにいたときのことなんだけど、あちらは国籍はオーストラリアでも中身は中国人だったりネパール人だったりフィリピン人だったり、もう本当にいろいろな人種がいて色々な言語が話されていて、人種や民族が多様なことに対して変な固定概念に縛られている人があまりいないのを見て思ったんです、「あ、僕もこんな感じでいいんだ」って。

ー 素敵ですね、そういう考え方。

H.K. 日本でも、そういった多様性に対する寛容さを感じられる機会が増えてきていると思います。僕みたいに、他の国にルーツがあるような演奏家にも国際舞台に立つチャンスを与えてくれる。今回、僕を推薦してくれた金沢ジャズストリート、いろいろ支援してくれた日本国際交流基金の方々とやりとりしていて思ったんですけど、皆さん、人として本当に温かいんですね。そのおかげで由緒ある国際ジャズフェスティバルのプログラムに名を連ねることができたわけで、言葉なんかではとても言い尽くせないほど感謝しています。

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